1. 「やりがい」と「荷が重い」の境界線
皆さんは、仕事で期待されることが「苦しい」と感じたことはありませんか?
10年のブランクを経て、ようやく手にした再就職。
本来なら、周りからの評価やステップアップの打診は、手放しで喜ぶべきことなのかもしれません。
上司からは「焦らなくていい、ゆっくり覚えてくれたらいいから」と、本当に温かい言葉をかけてもらっています。
しかし今の私の心にあるのは、喜びではなく、ずっしりとした「重圧」でした。
前回の記事で書いた通り、私がこの職場を選んだ最大の決め手は、勤務時間や家庭と両立できそうか?という職場の『条件』でした。
でも、それ以外にも心の中でこっそり思っていたことが2つあります。
1つは、『慣れた事務作業なら、10年のブランクがある私でも務まるのではないか』という安心感。そしてもう1つは、『せっかくなら、自分の生活に役立つ法律知識を学びたい』という期待でした。
条件が良くて、自分にも務まりそうで、さらに自分のためにもなる。
最初は、そんな『理想の職場』に見えていたはずでした。
ところが、いざ事務所から差し出されたのは、「専門業務」という名の、想像以上に重たいバトン。
「専門的な知識を身につけ、スキルアップしていくこと」。
世の中的にはそれが「正解」で、やりがいのあることだとは分かっています。
でも、今の私には、どうしてもその仕事自体に興味が持てず、一歩踏み出す力が湧いてこないんです。
「せっかくの期待に応えられない」「興味を持てない私はわがままなの?」 そんな申し訳なさと、日々膨らんでいく不安。
なぜ、私はこんなにも気が重くなってしまうのか。
今日は、今の私が抱えている「モヤモヤの正体」を、正直に整理してみたいと思います。
「事務作業」は好き。でも「誰かの人生を背負う」のは怖い
私はもともと、事務作業そのものは嫌いではありません。
学生時代にMOS(マイクロソフト オフィス スペシャリスト)の資格を取り、結婚するまでは一般事務の正社員として働いてきました。
ワードやエクセルを使って見積書を作ったり、書類を整えたり。給与計算や経費入力といったコツコツとした作業は、むしろ「パズルを解く」ような感覚で、数字がピタリと合う瞬間の達成感が好きなんです。
一度覚えてしまえば、繰り返しの作業の中で自分のペースを掴んでいける。 10年のブランクがあっても、手が覚えている感覚があり、こうした一般事務の範囲であれば覚えることに苦痛は感じませんでした。
けれど、今任されようとしている「専門業務」は、それとは全く別のものでした。
法律に則り、個人のこれからの生活を左右しかねない重要な手続き。
それは、単なる事務作業の枠を大きく超えていました。
手順の複雑さはもちろんのこと、何より恐ろしいのは「もし私が書類の一枚、書き方一つを間違えたら、この方の今後の人生を狂わせてしまうかもしれない」という、逃げ場のないプレッシャーです。
暮らしに役立つはずが、辿り着いたのは「異世界のルール」
もともと、法務事務所を選んだのは『法律を学べば、自分のこれからの生活に活かせるかもしれない』という期待があったからです。
「法律の知識を身につけることが、自分や家族の助けになるかもしれない」という期待です。10年のブランクを経て社会に戻るなら、ただお金を稼ぐだけでなく、自分の人生を強くしてくれるような武器が欲しい。そう思っていたんです。
けれど、実際に目の前に並んだのは、あまりにも特殊で、自分の生活とはかけ離れた「異世界のルール」でした。
それは、限られた条件下でしか使われない、非常に複雑で難解な手続き。
もちろん、その手続きを必要としている誰かにとっては、命の次に大切な書類かもしれません。でも、ふと冷静になった時、私は立ち止まってしまいました。
「この知識を必死に覚えたとして、私のこれからの人生に、1ミリでも役に立つのだろうか……?」
10年ぶりに社会復帰した今の私にとって、時間は何よりも貴重な資源です。 家族との時間を削り、家事をやりくりして捻出したエネルギーを、自分とは無関係な世界の、明日には変わるかもしれない特殊なルールの習得に使い果たしてしまうこと。
それは、私が思い描いていた「自分自身を整え、豊かにするための仕事」とは、あまりにかけ離れた現実でした。
まずは「自分と家族の生活」を整えることが最優先。
今は「キャリアアップ」や「知識のアップデート」を求めて必死になるより、平穏な心で働けることの方が私には価値があると思ってしまう自分がいます。
代表との温度差に挟まれて
「ゆっくり覚えていってくれたらいいんだから」
本来なら、ブランクのある新人にとってこれほど救われる言葉はありませんが、
次の契約更新の時期が近づくにつれ、私の心はざわつき始めています
「ゆっくりでいい」という言葉は、裏を返せば「いつまでも今のまま(できることだけ)ではいられない」ということ。
「いつかは必ずできるようにならなきゃいけないよ」という、逃げ場のない約束のように聞こえてしまうのです。
事務所の方々は本当に善意で、私を育てようとしてくれている。
その温かな期待に応えたいと思う反面、心の中では「更新時期に近づいても、私はこの仕事(特定業務)に興味を持てるようになっているだろうか?」という冷めた本音が消えません。
期待に応えられない申し訳なさと、再就職できた自分の居場所を失いたくない不安。
その板挟みの中で、私は今日も笑顔で「はい、頑張ります」と答えてしまうのです。
答えの出ない、現在進行形の迷い
幸い、次の契約の節目まではまだ少し猶予があります。それまでに、自分の気持ちに折り合いをつけられるのか、それとも別の道を探すべきなのか。今はまだ、答えは出ていません。
そんな中、さらに悩ましいのが「これからもっと勤務時間を増やして、本格的にこの業務に携わってみないか」という提案をいただいたことです。
今の職場は、家事や家庭との両立もしやすく、急な予定にも柔軟に対応してもらえる。
10年のブランクがある私にとって、これほど「融通が利く」環境は、探そうと思ってすぐに見つかるものではないと分かっています。
だからこそ、迷うのです。
「仕事内容は興味が持てないし、責任も重すぎる。でも、この働きやすさを手放すのは、あまりに勿体ないのではないか」
「やりがい」を優先して、また一から仕事を探すリスクを負うのか。
それとも、「条件の良さ」と引き換えに、気が重い業務を飲み込んでいくのか。
ぐるぐると考えは巡りますが、結局のところ、私の心の奥底にある正直な気持ちはこれに尽きます。
「どうか、このまま慣れ親しんだ事務の仕事を、気楽に続けさせてほしい……!」
向上心がないと言われれば、そうかもしれません。でも、10年ぶりに社会に戻った今の私にとって、平穏に、確実にこなせる仕事があることは、何よりの救いだったのです。
期待に応えて自分を変えるべきか、それとも「気楽さ」を求めて舵を切るべきか。
贅沢な悩みだと自覚しつつも、今日も私は揺れ動く天秤の真ん中で、答えを探しています。
この「勿体ない」という執着も含めて、今の自分の素直な立ち位置を、もう少しじっくり見つめてみようと思います。

